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2025/10/22 00:00 ~ なし

京都の現場で出会った樹齢300年の大木|雷に打たれても生き続ける生命力

京都の元勤め先で出会った樹齢300年の大木。雷に打たれ幹が空洞になりながらも皮だけで生き続ける姿に、自然の生命力を感じました。植木屋藤一では、木の命に寄り添った剪定・お手入れを行っています。

先日、京都の元勤め先に手伝いに行ってきました。

久しぶりの現場で、親方から「この木、樹齢300年くらいあるらしいぞ」と教えてもらいました。

ほんまかどうかはわかりませんが(笑)、確かに見た目にも迫力のある大木。

 

よく見ると、その木は昔、雷に打たれて短くなってしまったとのことでした。

幹の中心はすでに空洞になっており、中はぽっかりと穴が開いた状態。

普通なら枯れてしまっていてもおかしくないのですが、

驚くことに、外側の皮の部分だけで今も生き続けているようでした。

 

その姿を見て、改めて生き物の生命力の強さを感じました。

木というのは本当に不思議で、

たとえ幹が傷んでいても、少しでも水を通せる部分が残っていれば、

そこから養分を運び、葉を茂らせ、生きようとします。

 

人間がどれだけ剪定や施肥を工夫しても、

最終的に生きるかどうかを決めるのは木自身の力。

自然の中で何百年も生きてきた木には、

言葉では言い表せない「生き抜く力」が宿っていると感じました。

先日、京都の元勤め先に手伝いに行ってきました。

久しぶりの現場で、親方から「この木、樹齢300年くらいあるらしいぞ」と教えてもらいました。

ほんまかどうかはわかりませんが(笑)、確かに見た目にも迫力のある大木。

 

よく見ると、その木は昔、雷に打たれて短くなってしまったとのことでした。

幹の中心はすでに空洞になっており、中はぽっかりと穴が開いた状態。

普通なら枯れてしまっていてもおかしくないのですが、

驚くことに、外側の皮の部分だけで今も生き続けているようでした。

 

その姿を見て、改めて生き物の生命力の強さを感じました。

木というのは本当に不思議で、

たとえ幹が傷んでいても、少しでも水を通せる部分が残っていれば、

そこから養分を運び、葉を茂らせ、生きようとします。

 

人間がどれだけ剪定や施肥を工夫しても、

最終的に生きるかどうかを決めるのは木自身の力。

自然の中で何百年も生きてきた木には、

言葉では言い表せない「生き抜く力」が宿っていると感じました。

🌳 樹木から学ぶこと

私たち植木屋の仕事は、木を“整える”だけでなく、

木が本来持っている力を最大限に引き出すお手伝いだと思っています。

 

たとえば、古木や大木の剪定では、

形を整えるよりも「いかに木が長く健康に生きられるか」を考えながら枝を選びます。

今回のような空洞の木も、無理に切ったりせず、

自然の状態を生かしていくことが大切です。

 

長い年月を生きてきた木は、

私たちに“自然の強さ”と“時間の重み”を教えてくれます。

雷に打たれても、空洞になっても、それでもなお立ち続けるその姿に、

静かな感動を覚えました。

🌿 おわりに

庭木や街路樹も、形や見た目だけでなく、

「どう生きてきたか」「これからどう生きるか」というストーリーを持っています。

 

今回の京都の現場で出会った大木のように、

たとえ傷ついても生きようとする木の力を見ていると、

自然の偉大さを改めて感じます。

 

これからも一本一本の木と向き合いながら、

その木が持つ生命の力を生かす剪定や管理を大切にしていきたいと思います。

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